ルワンダの悲劇

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2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ

どうも、ひでです。

この記事はルワンダの首都キガリにて書いています。

いつもは適当なことばかり書いてるこのブログですが、

今回は真面目な内容を。


ルワンダはアフリカの中でも面積のかなり小さい国。

ルワンダと言われて何を思い浮かべるでしょうか。

全くイメージがつかないという人もいるかと思いますが、

ルワンダ大虐殺が頭に浮かぶ人もいるでしょう。

そのイメージが強かった自分が、

ルワンダの中で行きたかったのがこの大虐殺の博物館。

ちなみにルワンダ大虐殺とはWikipediaによると

ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ、Rwandan Genocide)は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。

とのことです。

それで今回行ったのがNyamata ChurchとNtarama Churchの2カ所。

ともに首都キガリから30キロほど南へ行った場所にあります。

ローカルバスで30分ちょっとくらいでした。

NyamataへはNyabugogo bus terminalからミニバスが出てるので

それに乗れば行けます。

500ルワンダフラン、わずか80円ほどです。

Nyamata Churchはバス停から徒歩で15分くらいの場所にあります。

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教会までにの道には犠牲者にお墓もありました。

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その名の通りここは教会なのですが、

今はルワンダ大虐殺を伝えるための小さな博物館になっています。

キリスト教徒が多数のルワンダにあって、フツ族による虐殺から

逃れる為にこぞってツチ族が集まったのがこの教会でした。

ただフツ族による虐殺から逃れることができるわけもなく、

この村だけで1万人の人が殺されたらしいです。

この教会内には殺された方の衣服や所有物、虐殺に使用された凶器、

そして亡くなった方の頭蓋骨などが置いてありました。

カンボジアのキリングフィールドでも多くの頭蓋骨を見ていたので

見るのがつらいということはなかったけれども、

やはりこのルワンダでの悲劇がもたらした結果を

目の当たりにすると何とも言えない気持ちになりました。

虐殺には斧などの凶器の他に火炎放射器や手榴弾が使用され、

当時手榴弾によって受けて壊れたドアがその悲惨さを物語っていました。

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天井にも手榴弾の影響による無数の穴が。

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敷地内にはツチ族の他にもイタリア人のお墓がありました。

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そのイタリア人はツチ族への迫害を守る為に活動をしており、

活動の最中に銃で撃たれて亡くなったそうです。

そしてここで一番衝撃的だったのが、敷地内にある遺骨の収容所でした。

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ここの地下に遺骨が保管されているのですが、

階段を降りて、少し暗い場所の

右左両方に数千もの頭蓋骨が置いてあり、

ただただ圧倒されそれ以上足を進めることが出来ませんでした。

教会内及び地下での写真は禁止されてるのでありません。

教会内をガイドしてくれた女性は34才の方。

大虐殺が行われたのが1994年なので、もちろん当時の記憶は

彼女の頭に残っているでしょう。

さすがにその当時どうだったとかは無神経すぎるので

聞くことはしませんでしたが。


Nyamata Churchの後はNtarama Churchへ。

NyamataからNtaramaへはミニバスに乗って。

7kmほどの距離なのでバイクタクシーとかでも全然いけます。

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バス停から教会までは距離があるので、

チャリタクシーにお願いしました。

Ntaramaの教会もだいたいはNyamataと似たような感じではありますが、

こっちの方がより当時のリアルで生々しい話を聞けました。

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ここの教会も同じく手榴弾によるダメージを受けていました。

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ここには教会の他にも料理小屋と小さな教室がありました。

料理小屋には犠牲者の衣服が。

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そして教室では当時1才にもみたない赤ちゃんをフツ族が

壁に投げて殺していたそうです。

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その証拠に壁は一部血で赤く染まっていました。

あと教室内には1メートルほどの木の棒が置いてありましたが、

これも虐殺時に使用されたみたいです。

正確に言うと、それらの木の棒でということではありませんが、

当時の虐殺を象徴するものとして置いているそうです。

なんでもツチ族の女性をレイプした後に殺害するために

長い木の棒を女性器から上半身に向かって突き刺したとのこと。

これを聞いたときはぞくっとしました。

ほんと酷すぎます。


この大虐殺が100年前とかではなく、

20年前に実際におこなわれていたなんてにわかに信じられません。

自分が幼稚園児のころに、はるか彼方のアフリカの小国で

同じ国民同士が殺し合っていたなんて。

フツ族による大虐殺は愚かな為政者によって扇動されたとのことですが、

それにしても当時1000万人いた人口のうち1割に及ぶ

100万人もの命が短い期間で奪われるとは。

悲劇以外に何ものでもありません。

このルワンダ大虐殺の記念館を訪れたことは決して良い経験だとは

思いませんが、忘れられない経験になったことは間違いありません。

ルワンダを訪れる際は1カ所でもいいのでどこかの博物館に

行ってみてください。

では!

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