負の歴史アウシュビッツ収容所へ
2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→レソト→トルコ→ブルガリア→マケドニア→セルビア→コソボ→セルビア→ハンガリー→スロバキア→ポーランド
どうも、ひでです。
この記事はポーランドの首都ワルシャワにて書いています。
ポーランドのクラクフへ来た1番の目的は
もちろんアウシュビッツ収容所。
アウシュビッツはクラクフのすぐ近くにあるわけではなく、
クラクフから西へ50kmちょっといったところにあって、
クラクフからはツアー、バス、電車と
色んな方法で行くことができる。
泊まっている宿や、クラクフ市内のツーリストセンターなどで
ツアーの手配はしてくれるけど、
100〜120ズウォティと若干割高なのとツアーの出発が8:30で
宿の朝食をゆっくり食べることができないから
公共交通機関で行くことに。
バスも鉄道もほとんど値段は変わらないけど、
バスの方が1時間に数本あって本数が多いのでバスで行くことに。
ちなみに鉄道とバスの時刻表はこんな感じ。
バスは片道14ズウォティ、400円ちょっと。
セントラルトレインステーション横の
バスターミナルからバスは出ていて、
チケットは運転手から直接買うパターン。
冬は観光客は少ないと聞いていたけど、バス内はほぼ満員。
2時間位かかるかなとおもっていたけど、
案外早くて1時間30分もかからないくらいだった。
アウシュビッツ収容所は2つあって、
第一収容所がアウシュビッツで、第二収容所がビルケナウと呼ばれ
両収容所間は無料のシャトルバスで行き来が出来る。
アウシュビッツでは4月〜10月の間はガイドをつけないと
収容所内をまわることは出来ないとのこと。
11月に行ったので、
別にガイドをつけなくてもまわることは出来るけども、
より理解を深めるため英語のガイドをつける。
ちなみにアウシュビッツには中谷さんという
アウシュビッツ公認の唯一の日本人ガイドがいるけれども、
その日は団体客の予約が入っていたみたいで
ガイドは出来ないみたい。残念。
英語よりも日本語の方がより当時の状況を理解できると思うので、
もし中谷さんにガイドをお願いするつもりなのであれば
日程に余裕を持ってあらかじめ予約を入れないとだ厳しいかなと。
中谷さんの番号はこちら。
+48338440311
アウシュビッツ収容所の入場料は40ズウォティで、
チケット1枚で両方の収容所を回ることができる。
入場する前に大きいリュック等は
クロークに預ける必要があるので注意。
ということでまずはアウシュビッツ第一収容所へ。
第一収容所は広大な敷地内に多くの建物がたっていて、
もちろん博物館のために建てたものもあるだろうけど、
ホロコーストの為にナチスがこれだけの建物を
建てたのだと思うとただただ言葉がない。
ここの入り口には有名なナチスがつくった
Arbeit macht freiという言葉があって、
意味は働けば自由になるとのこと。
ナチス側は民族虐殺のために収容所へ連れて来たことを
知っておきながら、この標語を作ったとは信じられない。
第一収容所はだいたい2時間くらいかけて
ガイドと一緒に回るのだけども、
収容所に連れてこられた人々の持ち物だったり、
実際に虐殺に使われたガス室とかも見たり
当時の状況を少なからず感じ取ることはできる。
亡くなった人の写真もあったりして、
そこには収容者の民族や職業、収容日、死亡日などの情報が
書かれていた。
アウシュビッツへ来るまでは、
アウシュビッツ収容所へはユダヤ人ばかりが
連れてこられたと思っていたけど、
ユダヤ人だけでなく、ポーランド人やジプシーなど
多様な民族が連れてこられ虐殺されたとのこと。
ひとつ感じたのは、博物館に飾られている当時の写真や
ガイドの話を聞いて、
そこまで強制性というのが感じられなかったということ。
というのも収容所へ来た人たちは新しい生活を始めるかのような
大きめの荷物を持っていたし、
シャワーと偽られたガス室へ行くのも
自分の足で進んでいっていたから。
ナチスが巧みに扇動したのもあるとは思うけども、
収容所へ来る人たちは最後の最後まで新しい生活を始められると
信じていたんじゃないかなと思ったり。
実際収容所には入ってみると
それはもう地獄でしかなかったと思うけども。
よくアウシュビッツ強制収容所と呼ばれているけども、
自分には強制性は感じられなかったから、
ここでは強制収容所ではなく、収容所とだけ書いているわけで。
ただナチスのやったホロコーストは同じ人間のすることではないし、
悲惨で繰り返してはならない過去には違いない。
そのあとはビルケナウ収容所の方に行き、
こっちはだだっ広い敷地内に建物がいくつかある程度。
アウシュビッツの方ほど建物の数は多くない。
もちろん壊れて現存してないものもあるだろうけど。
ここには実際にビルケナウまで連れてくるために
使った列車があったり、
収容者の簡易すぎる睡眠スペースがあったり。
このベッド一段に3〜6人くらい寝てたみたいで、
木の板がある程度で到底ベッドとは言えない。
これだけ見てもいかに収容者の環境がひどかったか分かる。
ビルケナウに限らずアウシュビッツでも、
観光客にイスラエル人が多くいて、
彼らはイスラエルの国旗をマントみたく巻いていた。
同じユダヤ人がこういった目にあったからのこの行動だけども
なんか違和感があったのは自分だけだろうか。
自分が訪れた日はイスラエル人の観光客が1番多かった気がする
正直なところ3時間ちょっとガイドの話を聞いただけでは、
しっかり自分の中で理解出来なかったから、
何度もアウシュビッツに足を運ばないといけないなと強く感じた。
あとポーランドに来てアウシュビッツやワルシャワなど
第二次世界大戦時の歴史について色々と学ぶ機会があったけど、
自分は何も知らないなとも感じたり。
日本からアウシュビッツへくるのは大半が年配の方みたいだけども、
是非若い世代の人にアウシュビッツを訪れて欲しい。
では!