子供に平等の愛を与える難しさ
2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→マラウイ
どうも、ひでです。
この記事はタンザニアのムベヤ近郊の村にて書いています。
今いる村で現地のNGOのボランティアとして1週間ほど滞在してます。
このNGOの主たる目的は孤児の世話・支援。
村出身の若き男性ジョセフが指揮を取って、
村にいる孤児を引き取り同じ屋根の下一緒に暮らしています。
彼らの子供も孤児と一緒に暮らしています。
自分と同じくらいの年で何十人もの孤児の支援を
しているのはホントすごいなと。
なかなか出来るもんじゃないです。
そこでなんとなく感じたのが、
自分の子供と孤児をどう扱っていくかということ。
孤児にも自分の子供にするのと同じように
愛を持って育てられるかということ。
親というものは単純で、
自分の子供が他のどの子よりも可愛いもんです。
所詮他人の子は他人。
ただ孤児といえども引き取ったからには責任もって
きちんと躾しながら育てていかないとダメですよね。
その点このNGOはきちんとしてたので安心しました。
家族ぐるみで孤児の世話をしているわけですが、
ジョセフのお母さんとか問答無用で孤児を叱りつけていましたね。
アフリカの親は平気で手を出してこどもを泣かせて
しつけていく人が多い気がします。
子育てした事ないからなんとも言えないけども、
最近の日本の子育ては昔ほどあまり叱らないように
なっているという話も聞きますが、
やはり子育てはアフリカ式に厳しくいかないとですね。
世話してる孤児の中にピーという名前の男の子がいたのですが、
彼はもうしょっちゅう、うんちは漏らすわ
おしっこはそこらじゅうにするわで
お母さんによく叱られてました。
アフリカの田舎へいくと、日本みたいな紙おむつなどないので
ピーはパンツなしのズボンで生活してました。
漏らしすぎてズボンが汚れてしゃあないので、
しまいには下半身すっぽんぽんで生活してましたしね。
あとピーはめちゃ泣き虫です。
ピーと同い年くらいにルーシーというジョセフのこどももいたのですが、
ルーシーはピーほど色々漏らさないし、そこまで泣きじゃくらない。
ピーと比較したらでの話ですが、
ルーシーはそこまで手のかかる子ではありません。
育てられ方とか見ててもルーシー大事にされてるなと思います。
そりゃあルーシーはジョセフの一人娘ですからね。
可愛くないはずがありません。
ピーに対してはどうなのかと言うと、きちんとしつけはしてるけど
やはりルーシーと比べたら気のかけられ具合が全然違う。
ルーシーは泣きだしたらすぐ駆け寄ってくれる人がいるけど、
ピーは泣いててもスルーの時とかある。
別にこの差がある状況を批判しようとしてるわけではなくて、
これはどうしようもないものだなと自分を納得させました。
かたや一人娘、かたや孤児ですから。
悪意ある書き方ですが、
自分の子かそうでないかはものすごく重要で、
それによって接し方も違ってくる。
実際自分がルーシーとピーと遊ぶ時とか、
ルーシーはジョセフのこどもやから
きちんと見とかないかんなと思うのですが、
ピーの場合やとまあたまに雑に面倒見ても
良いかなと思ったり思わなかったり。
こういう人によって差をつけるような自分が
NGOのボランティアなどする資格などないのかもしれません。
孤児に会ったのは初めてですが、
扱いに差をつけてる自分を発見した時には驚きました。
それと同時にここに限らず、
孤児院とかで働いてる人とかはどういう気持ちで
接しているのかなと不思議に思いました。
自分のこどもと同じように接することが出来るのかなと。
それができる人は天使みたいな人やなと思った。
なかなかできることじゃないと今回の経験で感じたから。
なんか何が言いたいのか支離滅裂な文章になってしまったけども、
とりあえず子供に平等の愛を与えるのってかなり難しいなと
今回感じたわけです。
海外の孤児院でボランティアというなかなか経験できないような事を
経験もほぼ皆無な自分にさせてくれて、
そして暖かく家族同然に迎え入れてくれた
ジョセフ家族にはただただ感謝です。
こどもは大好きなので将来的に自分のこどもを持ちたいですが、
まずは相手から探しましょうね。
あー先が思いやられる。
では!