第二次世界大戦時の激戦地ワルシャワを巡る
2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→レソト→トルコ→ブルガリア→マケドニア→セルビア→コソボ→セルビア→ハンガリー→スロバキア→ポーランド
どうも、ひでです。
この記事はポーランドのワルシャワにて書いています。
ポーランドのクラクフからワルシャワへもヒッチハイクで。
ただポーランドでのヒッチハイクが予想以上に困難で、
初っ端のクラクフから2時間ぐらい待つ羽目に。
せっかく捕まった車は途中までしか行かないとのことで、
高速で降りてヒッチハイク再開。
ただ高速でのヒッチハイクはめちゃくちゃ寒いわ、
すぐ近くを車がかなりのスピードで通過するわで
なかなか厳しい。
しばらく続けてると警察車が止まり、
ポーランドでは高速道路でのヒッチハイクは
禁止されてるらしきことを言われ、
何故かヒッチハイクが出来るポイントまで
連れてってくれるという親切な対応。
そこでは10分も待たないうちにワルシャワ行きの車が捕まって、
ほんと警察さまさま。
ワルシャワには合計3日間の滞在。
ここワルシャワは第二次世界大戦時にナチスなどによる攻撃で
中心地の80%以上が焼け野原になった場所。
焼け野原と聞いて日本の東京大空襲を思い浮かべたけども、
ヨーロッパでも同じような状況になっていたとは知らなかった。
今ではワルシャワの街は東京と同じように
戦争の影響自体は見る影もないけども、
その影響でワルシャワには
第二次世界大戦関連の博物館が多く存在する。
ワルシャワまでのヒッチハイクの時に
運転手からワルシャワ蜂起博物館はぜひ行って欲しいと言われ、
最初にこのWarsar Uprising Museumへ行くことに。
ワルシャワ蜂起とは第二次世界大戦末期にナチスの占領に対して
ポーランド兵士・国民が起こした武装蜂起。
博物館で1番衝撃的だったのが、やはり戦後の焼け野原状態である
ワルシャワの街。
今のワルシャワの街並みからは到底想像できず、
ただただ衝撃だった。
ただ全体的に見ると、
自分の勉強不足のせいかあまり理解することができず
消化不良のまま終了。
ワルシャワの街にはワルシャワ蜂起のモニュメントもあったりする。
そのあとは事前に友人に紹介してもらった
ワルシャワで日本語学校を経営する方と一緒に
ワルシャワの旧市街を観光。
ワルシャワの旧市街は今まで見てきた東欧の旧市街の中でも
かなり雰囲気のある街並みで街歩きはかなり面白い。
そのあとはノーベル物理学賞と化学賞を受賞した
キュリー夫人の生家へ行ったり
(残念ながら工事中やったけども)
ショパンの教会へ行って、ショパンの心臓を見に行ってみたり。
翌日にはヨーロッパの街ではお馴染みのフリーツアーに参加して
また旧市街をゆっくり回ってみたりして、
思いのほかワルシャワを楽しむことが出来た。
ポーランドは歴史的に見どころは多いし、
黒海に面した街や、山あいの街、ワルシャワやクラクフなど
色んな場所を楽しむことができるから、
今度はきちんとゆっくりまわりたいなと思わせてくれる場所だった。
では!