アーネストさんの半生

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2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ジンバブエ

どうも、ひでです。

この記事はザンビアとジンバブエの国境付近のある

ムグラメノ村という奥地にて書いてます。

ここではWorkawayを利用して、

学校運営や農園の作業の手伝いなどしながら

10日間ほど滞在しています


勝手にシリーズ化してるムグラメノ村での生活編ですが、

今回は滞在先のホストであるアーネストさんにスポットを

当てようと思います。

アーネストさんはこの人です。

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現在38歳で、妻のペトロネラさんとの間に2人の子供と

3人の養子を引き取り生活しています。

アーネストさんも妻のペトロネラさんも

どちらもこのムグラメノ村出身。

アーネストさんはひたすらよくしゃべるので聞かずとも

彼の半生をこの滞在中に色々聞くことができました。

聞いてみるとなかなか壮絶な人生を歩んできたことが分かりました。

生まれはムグラメノ村ですが若い頃は首都ルサカ近辺で生活をして、

学校を卒業してすぐムグラメノ村に戻って、

その頃に今の妻であるペトロネラさんと出会い、結婚します。

ムグラメノ村に戻ったアーネストさんは

教育設備も整っていなければ、インフラも整っていない

村の将来を危惧し、全財産を投じて幼稚園を建設します。

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そこで小学校入学以前の子供たちの面倒を無償で見ています。

ただ学校建設を始めた頃は、村の他の住民の理解も少なく

周りからはアーネストがなんか変なこと始めようとしてると、

変な目で見られたり、

それだけでは済まず危害を加えられたりしたそうです。

このあたりは保守的で閉鎖的なアフリカの田舎ならではかもしれません。

ただアーネストさんはそれには負けず地道に活動していく内に

徐々に周りの理解も得られるようになったみたいです。


次なる問題は政府との闘い。

当時ザンビア政府の観光庁の人たちは

ムグラメノ村周辺の豊富な動物資源に目をつけ、

周辺一帯を国立公園化させようと考えました。

国立公園化させるためには

ムグラメノ村の住民には立ち退いてもらう必要が出てきます。

元から住んでいた住民を追い出すのはおかしいと

反対運動の先陣を切ったのがアーネストさん。

ただ政府が相手となるとやり方もおっかなくなり

ムグラメノ村へ政府が送りこんだ刺客がアーネストさんを

力ずくでねじ伏せようとしてきます。

家にはいつもその刺客が待ち伏せてるので

森の茂みに隠れて生活する日々が続いたそうです。

何度も殺されかけられそうになったり、

家を焼かれそうになったこともあるみたい。

村人たちの助けを借りながら、

しぶといアーネストさんに観念したのか、徐々に政府からの

嫌がらせはなりを潜めてきている状況。

ただこればかりはいつ争いが再開するかは誰も知らない。

政府が手を出してこない間に海外の支援団体の力を借りながら

学校施設や生活基盤を着々と広めていくアーネストさん。

海外の人にムグラメノ村の生活、現状を知ってもらいたいと思い

今回の自分のようなボランティアの受け入れも始めたそう。

実際自分の滞在中にも何組か海外からの人が来てました。


アーネストさんがしきりに言うのは、

このムグラメノ村を豊かにしたい、

そのためには先進国からの手助けだったり知恵が必要だと。

ほんとアーネストさんの熱意にはただただ尊敬するばかりです。

これだけ困難な状況にありながらなお村のため、子どものために

活動するアーネストさんを間近に見てつき動かされないわけありません。

滞在中だけでなく、ムグラメノ村を離れてからも継続的な支援か

何かを自分の出来る限りでしようと思いました。

具体的に何をするかはまだ考え中ですが、

ここで出逢ったのも何かの縁なので、

きちんと関わってこうかなと思ってます。

まだまだ続きますよ。

では!

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