パラグアイ最初の日本人移住地ラコルメナ
2015年3月11日から約1年の世界一周の旅へ。
日本→中国→香港→ベトナム→タイ→ラオス→インド→ネパール→インド→UAE→イラン→UAE→タンザニア→ルワンダ→ブルンジ→タンザニア→マラウイ→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ→レソト→トルコ→ブルガリア→マケドニア→セルビア→コソボ→セルビア→ハンガリー→スロバキア→ポーランド→チェコ→ドイツ→スペイン→イギリス→デンマーク→ドイツ→オランダ→ベルギー→ルクセンブルク→ドイツ→キューバ→メキシコ→ベリーズ→グアテマラ→エルサルバドル→ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマ→コロンビア→ベネズエラ→ブラジル→パラグアイ→アルゼンチン→ウルグアイ→アルゼンチン
どうも、ひでです。
この記事はパラグアイのラコルメナにて書いています。
ブラジルのフォスドイグアスで世界最大の滝であるイグアスの滝を
見たその日にもうパラグアイへ移動。
フォスドイグアスからはパラグアイのシウダードデルエステ行きの
バスが頻発しているのでそれに乗って
途中の国境で降ろして貰う必要がある。
というのもブラジルとパラグアイの国境では
両国民は自由に移動できるので、バスはわざわざ
国境でスタンプを押してもらうのを待ってはくれないから。
外国人でさえも普通に素通り出来たりするくらい管理がゆるい。
バス運賃は5レアルで降りる前に引換券みたいなのを貰えば
一度国境で降りても新しいバスの運転手にその紙切れを見せれば
無料でシウダードデルエステのバスターミナルまで連れて行ってくれる。
シウダードデルエステは電化製品で有名らしく
ブラジルやパラグアイの他の都市から
わざわざ買いに来る人も多いみたいでパラグアイ側の国境の
すぐ近くには色んなショッピングモールがあったりする。
ブラジルレアルからパラグアイグアラニへの両替は
フォスドイグアスにありスーパーであるMuffato内でも出来るけども
パラグアイ側の国境付近にあるショッピングモール内の
両替所の方が若干レートは良かった。
シウダードデルエステからラコルメナまでは
昼前であれば直行バスがあるみたいだけども
すでに14時は過ぎていたので乗り継いで行くことに。
首都のアスンシオン行きのバスは結構出ているので
まずはそれに乗って途中のCoronel Oviedoまで
4時間弱乗ってそこで下車して
そこからVillarricaという場所へ1時間弱移動して
ビジャリカに着いたのは19時頃でその時間には
ラコルメナ行きのバスはなかったので
しょうがなくビジャリカの街で一泊することに。
翌朝は9時発のラコルメナ行きのバスがあったのでそれに乗車。
ラコルメナには1時間ほどで到着して
結局1日かけてなんとかブラジルからラコルメナまで
移動することが出来た。
がくんと下がって、そこはパラグアイらしいよね。 まあこっちの方が自分にはしっくりくるけどね。
パラグアイにはピラポ、ラパス、イグアス、ラコルメナなど
いくつかの日本人移住地があって
その中で旅人に有名なのがイグアス移住地。

イグアス移住地には快適すぎて沈没してしまう宿として有名な
民宿小林があるおかげでそれなりに有名。
イグアス移住地は自然がたくさんで
ゆっくりとした生活を送れるらしけども
これまでに色んな写真を見てきたので、
わざわざメジャーなイグアス移住地には行かなくても
良いかなと思って他の移住地へ行くことに。
調べていく中で興味を持ったのが今回訪れたラコルメナ。
ここは戦前から存在した日本人移住地で
パラグアイの日本人移住地の中で最も歴史のある場所。
ラ コルメナ移住地は、パラグアイで最初の日系移住地です。移住地の南西にある小高い山セロ・アプラグア(標高約300m程度)は、どことなく富士山を感じさせる姿から「コルメナ富士」として日本人移住者たちの望郷のよすがとなりました。
1936年8月に日本から最初の移民団が訪れて開拓が始まりますが、準備期間が短かったこともあり、移民当初の移住者たちは食べる野菜もない中での家作りや重労働を強いられ、苦難の連続でした。 1965年にアスンシオン市場に通じる道路(ラ・コルメナ~アカアイ間)が整備され、トマトやメロンなどの蔬菜類の出荷が急増。現在では、アスンシオンの近郊蔬菜栽培産地としての地位を確立し、「果物の都」とも言われています。
なお、「ラ・コルメナ」という移住地の名称は、勤勉な日本人にふさわしく、「ミツバチの巣箱」という意味で名づけられました。1978年には自治区から市に昇格。日系人の人口は100戸、350人となっています(2009年現在)。
移住地では、11~12月に特産のぶどう狩りが体験できます。引用元:メルコスール観光サイト
行くなら一番最初の移住地に行きたいこともあって、
幸いラコルメナには安宿があるとのことで
ラコルメナへ行くことになったという経緯がある。
そんなラコルメナ移住地だけども行ってみて驚いたのが
てっきり日系人だけの町かと思いきやパラグアイ人の方が
パッと見た感じ多くいたこと。
今回ラコルメナの宿でお世話になった夫妻に聞いてみると
ラコルメナは他の日本人移住地と違って唯一パラグアイ人と日系人が
共存している場所で、他の移住地は日系人がほとんどらしい。
ラコルメナはそれほど大きくない町だけどもそれでも
人口は7千人前後いて、
中心地には商店が多く並んでいて想像していたより
普通に町として成り立っていて少し驚いた。
日本食スーパーとか普通にあるかなと思いきや
ローカルスーパーしかなかったり。
来る前までは日系人がほとんどの小さなコミュニティかと
思っていたから。
歩いていると日本語はほとんど聞こえてこなくて
だいたいスペイン語か現地語のグアラニー語のどちらか。
通りの名前は昔ラコルメナに貢献した日本人の名前になっていたけど。
日系人は中心から少し離れたところに
広大な畑をもって農業をしている人が多いらしく、
2日間の滞在だけだったからかほとんど日系人の人には会わなかった。
宿のオーナーである荒井さん家族が
ラコルメナに移住して来たのは2年ほど前だけども、
その時で50年ぶりに日本人移住者だったらしい。
荒井さん夫婦以外にももう一人農業をやる為に
ラコルメナに移住してきた男性がいたり、
自分と同じ26歳でパラグアイに移住を決意して来ている女性がいたり。
その女性とは宿が同じで毎日色々と話していたけども
何よりその行動力が素晴らしいなと。
アジアとかならまだしも地球の裏側にある南米に移住するとか
その年齢でなかなか決意出来ることじゃない。
原発・放射能の問題だったり、
単純にパラグアイで農業をやりたいだったり、
田舎で暮らしたいとか彼らがパラグアイに来た理由は
色々とあるけども本当みんなたくましいなと思う。
その女性だったり荒井さん夫婦と出会えただけでも
ラコルメナに来た甲斐はあるなと思う。
まあ色々話を聞いてみるとラコルメナも小さなコミュニティなので
いい意味でも悪い意味でも近所付き合いは大変らしいけどね。
観光資源としては特に何もないラコルメナだけども
面白い人に出会えて毎日美味しい食事を食べて
久しぶりにゆっくり出来てホント良かったなと思う。
では!